思うこと
5月1日は僕の誕生日
誕生日なんて気にしなかったらそれはそれでいいんだけど。
今年の誕生日は何かしようと思って。そうだもう一発ソロやろう!って。
でもそれを思った10日後に大震災がおきて。。
そんなことできないって。思って。
でも何かなぁと。
4月29日の深夜、新宿からの深夜高速バスに乗って仙台への旅が始まりました。
朝、6時定刻通りに仙台駅東口につき、朝方の肌寒い雰囲気の中、東口で少しばかり休憩。
そこから立ち食いそばを食べ、JR名取駅へ。
名取駅は、今からもう10数年前の宮城県農業高等学校(宮農)時代、毎日通った馴染の駅。
電車の中のトイレで必ず一服するという何とも若者らしい、思い出を思い出しながら
朝の気持ち良い朝日を浴びて向かいました。
名取市民体育館という場所
名取市災害ボランティアセンターとして現在運営されていて。
ボランティア参加のために、その体育館へ。
既にたくさんの方がボランティア受付をおこなっていて、体育館には120名ほどの男女の皆さんが。
びっしりと並んだパイプいすに作業服を着た方々が座っていて、職員の方の話を聞いています。
マッチングと呼ばれるその日の活動内容を決めていく作業。
何々さんの家のがれきの撤去作業…館腰小学校のトイレの掃除...支援物資の仕分けなどなど。
その日に依頼されている作業を当日来たMEMBERで振り分けていく。
前の椅子に座っている順にその作業内容は決められていき。
僕がその日担当したのは、
市民体育館のどぶに貯まったドロ掃き作業。
最初にあったイメージは、海沿いのがれきの片づけなんかをやれたら。。。
という何ともボランティアしました!という証?みたいなのを自分の中で抱いていたため、
なんかもっとパンチのある作業がよかったなー。
地味な作業だなと内心で思ってしまいました。
他計30名の皆さんと一緒にボランティアセンターのどぶの泥を一斉にスコップでかき出しかき出し、かき出し続ける。
朝からお昼までノンストップで泥をかき出し、それを運ぶその繰り返し。
そんな作業を黙々とこなす他の皆さんをみていて、
なんで俺さっきあんなこと思っちゃったんだろう。
って。
なんか凄く自分がいやになってきて。
ボランティアをしに来てるのに。
自分の中で作業を選んでしまっている自分。
どんな作業も全ては一つのゴールに繋がっているはずなのに。
それを自分は、何か勘違いしていて。
やっていることの見え方とかを気にしてしまった自分にものすごく腹が立ってしまい。
ヒトリ、昼間にシュンってなっていました。
でも他のMEMBERと話をしてみたりしているとそれは、すぐに新しい気持ちに切り替わり。
どんな事も全てはひとつのゴールに向かっているんだ。
今はこれに没頭し、それをひとつクリアしよう!
と思えました。
30人がかりで、とにかく泥のかき出しまくりました。
そして15:00には作業終了。
初日のボランティアが終わりました。
その後、隣にある名取市文化会館へ。
ここは、2011年2月にKAZさんが公演をしたばかりのところで、職員の方々も顔なじみで。
僕も高校の頃、芸術鑑賞会では、毎年こちらに来ていて(何をみたかは全く覚えていませんが・・・)
急遽で伺いましたが公演を担当していたSさんとお会いでき、色々とお話しを。
会館では現在も400名近い方が避難生活をおくっていて、前に来た広いスペースは全て段ボールの仕切りで埋まっていました。
その日は子供はパパと外でフリスビーをしたり、変わりばんこにインターネットスペースを使ったり、
少しづつですが避難所での雰囲気も良くなってきているとの事でした。が。
職員の皆さんも毎日つきっきりでの生活で、
本当に僕に出来ることは、何なんだよ。。。と
自分自身が考えてもすぐに答えの出ない光景でした。
またフロアには千羽鶴やたくさんの地域からの応援メッセージなどもたくさん飾られていていました。
温かいmessageの数々には思わず涙が出ました。
夜には、昔のDANCE先輩とお友達とご飯を食べて、様々な話を。
仙台市内の方の現状や。その人が思うこれからとか。
たくさん話しをして、たくさん元気をもらいました。
お祝いもしてくれて。ありがとうございました!
次の日。
5月1日。
この日も僕は名取市民体育館へ。
この日はGWに入ったとの事もあり200名ほどの方がいました。
この日はその日決まった作業に全力で取り組もうと気持ちを入れていきました。
民家でのがれき撤去作業というものに振り分けされ、マイクロバスで移動。
僕が高校の頃、自転車で通っていたその名取の光景は、全くの別物。
(4月の頭に一度見に来た時とまだほとんどが同じ状況でした。)
その日は男子10名で、農家の庭のぐちゃんぐっちゃんになったビニールハウス付近のがれきを取り除くという作業。
ヤンキー風お兄ちゃんも黙々と作業。
タンスも自転車も仏壇も洋服も教科書もおもちゃも茶碗も窓ガラスも畳もわらも何もかもがヘドロと一緒にぐっちゃぐちゃに埋め尽くされていました。
その光景は本当に想像を絶します。
一つづつ、はじに捨て場をつくり、全員で運ぶ運ぶ。
マスクをしていてもその下水みたいな匂いと海の匂いと、何かが腐ったにおいが襲い掛かってきます。
思い出の品、なんだろうなと思うものもあったりして。。。
さらにはどうなったらこうなるんだよってくらい変形したビニールハウスを解体し解体し、運ぶ運ぶ。
朝の9時過ぎから始まった作業は12時までノンストップで行われ、休憩へ。
色んな人と話をしてみると他メンバーは茨木・名古屋・東京など、地元ではないけどという方もいたり、地元名取の方など。
地元名取の方の話は本当になんとも言えないことばかりで。
その気持ちって言葉でなんて書くのかよくわかりません。
午後も15:30までその作業を続ける。
目標としていた稲刈り機を取り出すことはでき、この日はそれで終了。
それでもできたの本当にほんの一部。この家もまだこれ明日もやんなきゃって感じだし。
これが隣の家もその隣の家もだし。。。
と思うと。。。
僕の力は微力すぎる。本当に微々たるものだ。。と痛感しながらも。
でも。
それでもやらなければならないんだ。と本当に思いました。
あっという間だった2日目も終了。(身体はもうバッキバッキです(笑))
たった2日間ですが僕の誕生日の旅はこのようなものでした。
なんで誕生日にボランティアだよって思いました。
誰かにほめられたいんだろ、お前。とも思いました。
なんか偽善ぽい。と自分でも思いました。
なんか一個勲章的なものほしいんだろ俺。。とも思いました。
たぶんそう思う人もいると思うし、思われるよ俺、、、と思いました。
そうじゃない。やらなきゃならないんだ。とも思いました。
自分のやるべきことを考えてる?とも思いました。
でも。
僕はやってよかったと思いました。
たくさんの事を思える二日間でした。
心で自分とたくさん会話しました。
そしてそれが日本の東北の宮城の名取のあの人の家の為に少しでもなったなら。
それだけでよかったと思ったし、
この気持ちを大切にして続けていかなきゃと思いました。
タップダンサーとして。
一人の人間として。
やるべきこと。
それをやり続けること。
そしてその先に見ているものをしっかりと形にしていくこと。
これを必ずすること。
僕は31歳の誕生日にこれを決意したいと思います。
30歳の1年で受けたたくさんの悲しみも。
もちろん感動も。喜びも。
ここからの10年!!と、年初めに思った2011。
僕はまたここから一歩ずつ。
歩き出したいと思います。
just do it
PS:誕生日に踊る。は、お母さんにだけ見てもらいました。見ようと思っていた方すみませんでした(>_<)
今年中に必ずどこかの会場で村田は舞いたいと思います。その時に絶対会いましょう!!会いに来て下さい。
2011.05.02
村田正樹-MuratapMasaking-
偽善でも、なんでも、いいんだよ。
返信削除JUST DO IT!
ゴールは同じだよ。
私、むらっち尊敬する。